事務所名

行政書士ひえだ法務事務所

代表者

稗田 美智子(ひえだみちこ)

所在地

兵庫県川西市多田桜木2丁目1-32 吉永ビル多田駅前Ⅰ 402

電話

072-767-9593

FAX

072-767-9594

e-mail

info@hieda-office.com

ホームページ

https://hiedaoffice.com

保有資格

行政書士、運行管理者、ユニバーサルマナー検定2級、FP2級、国内旅行業務取扱管理者

営業時間

月曜~金曜 9時から17時まで (月~金が祝日の場合も営業)

取扱業務

会社設立、各種許認可、相続・遺言、自動車・バイク登録、車庫証明、農地関係その他業務につきましてはお問合せください。

プロフィール

赤ピン
 0~3歳

鹿児島県生まれ。当時住んでいた所はかなりの田舎で、遊びと言えば飼っていたニワトリと毎日山で遊ぶという野生児でした。
その後父の仕事の都合で神戸市へ。当時は鹿児島弁でしたが、あっという間に関西弁に染まりました。

赤ピン
 学生時代

体を動かす事が大好きだったので、中学時代は陸上部に所属し、毎日陸上部の厳しい練習に明け暮れていました。得意の短距離走では何度か賞を頂きました。

勉強は全くしなかったので、第一志望の高校は予想通り不合格。
第2希望で入学した高校で、陸上部に所属しましたが、中学時代とは比べ物にならない程の練習の厳しさにあっけなく挫折。

行きたくなかった高校で、大好きだった陸上も辞めてしまい、何の目標もないままだらだらと高校生活を送っていました。

そんな時、当時の家庭科の先生が進路について一生懸命アドバイスしてくれた事が転機になり、徐々に勉強に励むようになりました。

成績も徐々に上がったので、就職先の選択も広がりました。

ところが、絶対合格と言われた会社に挑戦するも、結果は不採用に。
ここで人生2度目の挫折を経験しました。

四葉のクローバー

赤ピン
 OL時代~結婚後

当時はかなりの就職難の時代。
もう就職出来ないかもしれないと諦めかけたとき、たまたま就職担当の先生のご紹介で、ある企業の求人とのご縁があり、何とか卒業ぎりぎりに採用していただけることが決まりました。

以前受けた会社は大手でしたが、何年か後には廃業していました。

その時、学んだことは、努力した結果、自分の思うようにならなくても、それは必ず何かしら意味があるということでした。

その後就職した会社で接客業の基礎となる営業事務を6年間経験させていただきました。

人間関係にも恵まれ、毎日楽しく仕事をしていましたが、当時は結婚後は、殆どの女性は退職してしまう時代でした。

私もその中の一人でしたが、経験してきた接客業を生かせる仕事を目指し、旅行が好きだったので旅行会社で働く事を目指しました。

そして、退職前に猛勉強し、旅行関係の資格を取得。運良く、友人の紹介で、ある旅行会社がパートでならということで採用していただけることになりました。

仕事も楽しく、これから更にキャリアを磨いていこうと思っていた矢先に、夫に熊本への転勤辞令が出てしまいました。随分悩みましたが、結局泣く泣く、旅行会社を辞めることとなってしまいました。

チャンス

赤ピン
 熊本在住の頃

熊本に行っても、旅行会社で働きたいという夢をどうしても諦めることができず、絶対探して働くと決意しました。

当時はインターネットもあまり普及していなかった時代、分厚い電話帳で熊本県にある全ての旅行会社を調べて採用がないか毎日1件、1件コツコツと問い合わせをしました。

30社程問い合わせをして何とか履歴書を送付できたのは2社のみ。そのうち1社だけ面談してくださることになりました。
断られると、後が無いので、当時の支店長に「1ヶ月間お給料はいりません!どうかここで働かせてください!もし使えないようならすぐ首にしていただいて結構です」と必死で伝えたところ即採用していただきました。(もちろんお給料はいただきました!)

大手の旅行会社で仕事の幅も広がり大変勉強になりましたが、残業が多く、繁忙期の帰宅はかなり遅くなることもありました。
出産後も働きたいと思っていましたが、子どもを預けて働くという環境が厳しい状況だった為、妊娠後悩んだ末に退職しました。

そして、その頃から将来自宅でも仕事が出来て、環境や年齢に左右されない、人とかかわる仕事をしたいと考えるようになりました。

赤ピン
 受験のきっかけとなった阪神大震災

里帰り出産の1ヶ月健診の日に阪神大震災に遭遇しました。想い出の沢山詰った実家は全壊してしまいましたが、家族は全員無事でした。当時は、親子共々本当に沢山の方々に助けていただきました。

多くの方が亡くなられた中で自分は生きていて本当にいいのだろうかと何年か思い悩んだ時期がありました。
そして、いつしか「生かされた命」を人様のお役に立てる仕事に使いたいと思い始め、行政書士になる事を決意しました。

気球

赤ピン
 3度目の正直

そうは言っても、私にとっては簡単な試験ではありません。
法律用語が全く頭に入らず、母の介護をしながらのパート勤めや子ども達との関わり等で勉強時間の確保が難しく泣きたくなることは100回以上でした。

それでも、諦めてしまうという選択は選びませんでした。
当時は、諦めることが自分にとって、挫折だと感じていたからかもしれません。

3回目の受験でようやく合格通知を手にする事が出来たときは、嬉しいという気持ちよりほっとした方が大きかったと思います。
特に子ども達には色々と我慢させてしまったので感謝の気持ちでいっぱいでした。

赤ピン
 現 在

お陰さまで、日々色々なことを経験をさせていただいております。そして何よりもお仕事を通じて、素晴らしい方々とのご縁を多くいただいております。

ある社長様に「人は人によって磨かれる」と言われた言葉がとても心に残っています。

私自身、行政書士は「誰かの想いを叶える」という素晴らしい職業だと確信しております。これからも、ご依頼してくださった方に寄り添って、業務に取り組んでいこうと思っています。

メッセージ

行政書士 稗田 美智子